十三仏の真言

十三仏の真言

十三仏とは人が亡くなった時に死後の世界を案内して下さる十三の仏のことです。

十三仏の功徳と効果、真言については詳しく説明してあります。

十三仏の真言は次の通りです。

  1. 不動明王…のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
  2. 釈迦如来…のうまくさんまんだ ぼだなん ばく
  3. 文殊菩薩…おん あらはしゃのう
  4. 普賢菩薩…おん さんまや さとばん
  5. 地蔵菩薩…おん かかか びさんまえい そわか
  6. 弥勒菩薩…おん まいたれいや あ そわか
  7. 薬師如来…おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
  8. 観音菩薩…おん あろりきや そわか
  9. 勢至菩薩…おん さんざんさく そわか
  10. 阿弥陀如来…おん あみりた ていぜい からうん
  11. 阿閦如来…おん あきしゅびや うん
  12. 大日如来…おん あびらうんけん ばさら さとばん
  13. 虚空菩薩…のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん あり きゃまり ぼり そわか

光明真言の唄を聞こう

聞くだけで明るい気分になれる光明真言の唄が高野山真言宗やすらか庵から発表されました。

代表が作曲、作成した音楽とビデオに唄は優梨亜さんです。

高野山編ということになっていて、高野山の景色を楽しみながら光明真言の唄を聞くことが出来ます。

真言は人を変える力があり、気分を変える力もあります。

そういった真言の中でも光明真言は最強の真言なのです。

菩薩行、望月崇英さん逝去

菩薩行の僧侶、望月崇英さん

2010年8月から東京銀座の交差点に立って托鉢を続けていた真言宗の僧侶望月崇英さん(66)が新型コロナの感染により今年1月18日に逝去されました。

コロナに倒れた托鉢僧 大震災、被災地で祈り―銀座交差点に立ち10年

若い頃はミュージシャンを目指してて渡米したこともあるそうで、40代半ばに高野山にて修行して仏門に入ってからは多くの人の悩み苦しみに耳を傾けて、東日本大震災の時には被災地で被災者の救済と供養のために身を捧げ、今年の3月にも被災地に供養のために出掛ける予定だったそうです。

最後に友人に宛てられたメッセージには「コロナにかかって良かったこともある。感謝です」とあり、菩薩行を実践する行者としての心優しい愛溢れる人柄が感じられます。

何故新型コロナにかかったのか、そして何故助からなかったのかは不明ですが、この世にとって惜しい人が居なくなるのは残念なことで御座います。

しかしながら魂としては菩薩行を続けられていることと思います。

お焚き上げで終活を

お焚き上げで終活

仏教では僧侶の持ち物として認められている物として「三衣一鉢」と言いまして、修行用の衣と托鉢用の鉢のみ持つことが許されています。

物を持つということは所有欲という欲に繋がって、もっと欲しい、まだ欲しいという欲望地獄に堕ちてしまうことから僧侶は私物を持つという事が厳しく制限されているのです。

悟りと言うものは、欲望を捨て去った寂静の世界であって、一切の物が無い世界なのです。

死後の世界には一切の物を持って行くことが出来ませんので、終活というものは、自分の死後に物を持って行けないからと、物を減らしていくことなのです。

しかしながらこの世で揃えた物はどれも愛着のある物ばかりですし、写真やアルバムなどは捨ててしまえば自分の過去まで否定してしまうようで寂しい限りです。

終活というものは、本当に何もかも捨ててしまえば生活に支障をきたすでしょうし、また新しい物を買うようでは終活の意味が無くなります。

高野山真言宗のお焚き上げ

その点お焚き上げは感謝の気持ちを持って天に届ける訳ですから、無駄になることは決してありませんので、宗教としての供養であれば利用する価値はあります。

死後の世界に物を持って行くことは出来ないということは皆同じ事で、例外はありません。

自分が死んだら一切の物が捨てられる、と思えば今の内に整理整頓しておくべきです。

光明真言は役に立ちます

光明真言

お葬式に出掛けたり、お墓参りに行ったら頭が痛くなったり体がだるくなることがありませんか?

亡き人をお送りしたり亡き人の供養に行くことは大変に疲れることですから、ある程度のことは仕方ないのですが、人によっては霊的な物を受けて体調が悪くなる方も居られます。

昔から言われるように墓地や葬儀場には御供え物や親切な人を待っている目に見えない存在が居て、憑いたり悪さをしたりすることがあるので、葬儀の時には今でも清めの塩を参列者に配るのです。

清めの塩は家に帰る前に服の上から胸、背中、足元に振りかけて手で祓い、払った塩はさいごに足で踏んでから家に入ります。

塩は清めるためのものですから、身体を清めるためにはとても有効です。

しかしもっと有効なのが光明真言を唱えることです。

光明真言は声に出して唱えれば亡き人の供養にもなりますし、大日如来の大きな力が頂けますので悪い物が憑くようなことはありません。

悪い物が憑かないばかりではなくて、大きな力が頂けるのが光明真言なのです。

「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン」

最初は覚えるのが大変かもしれませんが、覚えておけば必ず役に立つ真言です。

水子供養と地蔵菩薩

水子供養と地蔵菩薩

地蔵菩薩は六道の入口に居て民衆が悪趣に堕ちないように活動していて、お墓の入口や村の辻に六地蔵と言いまして、六体のお地蔵様がお祀りされているのは、六地蔵の信仰が広く信じられていたからであり、地蔵菩薩は私達の身近な存在であることに気付かされます。

水子とはこの世に生まれてくることが出来なかった子、或いは生まれてきても短い命だった子のことですが、この世で生きている時間が短かったために何の罪も犯していないように思うのですが、実は親を悲しませたという罪で三途の川を渡ることが出来ずに、その罪滅ぼしのために河原の石を積んで五輪の塔を作り続けるのですが、時々地獄の鬼が出てきて壊してしまうという話は有名です。

「一つ積んでは父の為、一つ積んでは母の為…」と言いながら罪滅ぼしとして積んだ石塔も鬼に壊されるのですから、何とも可哀そうなお話です。

しかしそういう時にお地蔵様が救いに来てくれるそうで、水子さんのいるお墓にお地蔵様がお祀りされているのは、そういった理由に依るのです。

水子供養とはお地蔵様に罪の無い子を救ってもらうための供養なのです。

三途の川の渡り方について

三途の川を渡る人のイラスト

お釈迦様は私達人間が生きている限り「生老病死」の四つの苦しみから抜け出すことが出来ないと説き、その苦しみから抜け出すには悟りを得て解脱するしか方法が無いことを説きました。

釈迦は生きた人間として解脱して仏に成った唯一の実在の人物なのです。

私達は今は人間として生活しているかもしれませんが、六道輪廻と言って地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の世界の中で延々と生まれ変わり死に変わりを繰り返し、生まれてくる度に「生老病死」の四つの苦しみを担うことになるのです。

私達が死んでまた生まれ変わるとしたら、そして死後の世界があるとしたら、どのようになっているのでしょうか。

死後の世界の詳細は…死後の世界の詳細と解脱、転生法

死後の世界に渡る時に三途の川があるとされますが、どのような川なのでしょうか、そして三途の川の渡り方があるとしたら、どのように渡れば安全なのでしょうか。

私達はこの世に生まれてきた以上、必ず死ぬ時が来るわけで、死んでみなければ分からないと言ってしまえばそれでおしまいなのですが、何か知っていて役に立つことがあれば、そして今の瞬間にやるべきことがあるとしたら、今の内に準備しておくべきです。